ようこそ「スタジオ・ディゾンネ」へ
私には小さい頃の忘れられない思い出があります。
小学生くらいのときの、美術・・・いや、図工と呼んでいましたね・・・の時間の思い出。
お話を聞いて、そのシーンを絵に描く、という授業でした。
もうすっかりお話は忘れてしまったけれど、ある男の子が、崖の上に勇ましくスッと立つ、
美しいシカの絵を描きました。
その構図はすばらしくスマートで、上に引き上げられるような構図で、勇気と孤高と悲哀に満ちた、
なんとも言えない姿が描かれていて、小学生の私には、それを表す言葉が当時はまだありませんでした
けれど、あまりの素晴らしい絵に感動を覚えた・・・少なくとも当時の私にとって、生まれて初めてのアートに対する感動だったと言えるでしょう・・・そういう体験でした。
構図もさながらですが、実は、その彼の描いた作品に塗られた色が、一層私を感動させたのです。
シカが緑色に塗られていたのです。
それが、黒ずんだ崖と、周辺の深い森の色と調和しつつも主張していて、
お話の緊張感が的確に表現されていた、のです。今でもあの絵は、私の脳裏に鮮明に焼き付いていて、
思い出すたびに感動が蘇ります。
ところが、これには、思いがけない事実がありました。私が絶賛すると、彼はこう言いました。
「ボク、シキジャクなの。緑と茶色が分からないから、こうなっちゃったんだ。」と。
・・・シキジャク?? 初めて聞く言葉でした。それから彼は、シキジャク、つまり色弱について
私に説明をしてくれました。当時の私は、それでも、こんなに感動的な絵を描ける才能のことなんだね、と認識したのを覚えています。
今になってみれば、自分の無知を恥ずかしく思うと同時に、
緑と茶色の見分けが難しかったために生まれた、色彩の調和だったのだと分かります。
そして、この事は、私が生まれて初めて「カラーユニバーサルデザイン」というものの必要性に生で出会った瞬間でした。
「カラーユニバーサルデザイン」というのは、「異なった様々な色の見え方をする全ての人に同じように正確な情報を伝える事が出来る色使いやそのようなデザイン」と言えばいいでしょうか。
前出の彼が、もし、茶色い看板の中に、緑色の文字で情報が書かれていたら、その情報を認める事が難しいのです。
彼の色の見え方がもたらした、芸術的感動はどんなに素晴らしくても、それが万一、命や安全にかかわることだったら・・・大変恐ろしいことです。
色弱者は、日本人男性の20人に一人、女性の500人に一人いらっしゃると言われています。
大切な情報を同じように共有するために、見分けやすい色使いをすることが求められるのです。
先日の色彩学会の際に、いろいろなメーカーさんが自社製品を案内していらっしゃいました。
その中に、「Eaga(イーガ)」という商品名のカラーユニバーサルデザイン支援ツールが紹介されていました。色弱の方が見分けにくい配色を見つけ出すためにつくられた特殊なメガネです。
私はこちらのブースにお邪魔して、この「Eaga」を試させて頂きました。
見本に置かれたパンフレットや書籍の図・・・このメガネをかけてしまうと、情報の図の見分けがまったくつかなくなってしまうのです!ある自治体の防災マップの危険情報など、メガネを通す事で、どこが危険で、どこが大丈夫なのか、さっぱり分かりません!
また、夏には著名な先生の研究室にお邪魔して「加齢黄斑変性」を体験出来るメガネというのも試させて頂きました。「加齢黄斑変性」というのは、加齢により、ものが歪んで見えてしまったり、中心部分が黒ずんだフィルターがかかったようになって見えにくくなったりする症状のことです。もちろん、色が変わって見えたりして、まわりの情報との区別がつき辛くなることも。
え、これ、冗談ですよね??と、思わず言ってしまうほど、見えにくいのです。
つい、つい、好きな色を、好きなように配してしまうけれども、近頃の甚大な自然災害などを考えると、
カラーユニバーサルデザインについてももっと理解したいと感じずにはいられません。