お人形のような姿にふるさとを(花元町)

ようこそ「スタジオ・ディゾンネ」へ

山形・福島より「整理収納×アロマ」を提唱する

快適空間コンサルタント 山内陽子です。


この可愛らしいまんまるのお花のようなのは、

最中です。


香炉庵の「花元町」といいます。

もう本当に可愛らしい…「愛らしい」というのは

受け手がこういう感覚に陥る事をいうのでしょうね。

優しい気持ちになります。

きっと「まるみ」には、なにか人の心を動かす、

絶妙な大きさや質感、そんなものが存在すると思います。


横浜の元町にある(どら焼きが有名だそうです)和菓子屋さんです。

あまりの愛らしさに、食べるのをためらってしまうほど。

予想しなかったこの姿は、横浜港の波間に浮かぶ「浮き玉」を模したのだそうです。


・・・そう知って思い出す、ある風景。

私は横浜生まれではありませんが、横浜のそばで大きくなりました。

そして横浜の中区で迎えた新社会人。毎日、毎日、暑い日も寒い日も、雨の日も晴れの日も、

朝も、お昼間も、晩も、横浜の街を歩き回りました。仕事でも、遊びでも。

よく横浜港から海を見ました。港の端からも、ビルの上層階からも。

とくに気にしない時でも、横浜港から見える海がそばにありました。

あの頃は、数年間で数十年分の出逢いがあり、人生の中で最も濃く印象深い時間を過ごしました。

とてつもなく楽しい時間と、同じくらい苦しい時間もなかったとは言いません。

それらのたくさんの貴重な出会いのほとんどと、すべての思い出に横浜港が寄り添っていてくれたので、

私にとっては特別な場所です。


よく、なにかの折に触れて、自分が前とは違うな、成長したな、前はこんな風に考えなかったな、と

思うシーンに遭遇します。

そういうふうに、よりよい思考が出来るようになった自分に気付く時、たいてい誰かがかけてくれた

「心に残るひとこと」が蘇ります。その多くは横浜でご縁があった大切な人々からかけて頂いた

コトバなことが多いです。


今朝の「希(まれ)」で、希ちゃんのこんなセリフがありました。


「ふるさとって生まれた場所じゃないんだね.大切な人に出会った場所なんだね」って。


希ちゃんは、能登で大きくなっていつも能登に帰れます。

そんな希ちゃんは私にとっては「能登という故郷をもった女の子」でした。

引っ越しだらけの私にしてみれば、希ちゃんが羨ましくて仕方がなかった。


だけど、そんな希ちゃんですら、大人になってから出会った、人生を大きくかえてくれた恩人たちとの

出逢いの場所をも「ふるさと」だと言っています。


私には故郷なんて無いし、と、ちょっとふてくされたような気持ちの私でしたが、

私の思い出のある場所、私の大切な人々に出会えた場所、それが「ふるさと」って。

とても素直に「そうだね」と思えました。


引っ越しが多い私にとっては、住んだあちこちで素晴らしい出会いがあるのだもの、

たくさんのふるさとを持っているんだな、と思う。


そして、偶然にも希ちゃんと同じで、

わたしにとっても「横浜もふるさと」。