ようこそ「Studio die Sonne」へ
山形・福島より「整理収納×アロマ」を提唱する快適空間コンサルタント山内陽子です。
「悲鳴をあげる身体」 鷲田清一
著 PHP新書
にこんなくだりがあります。
ーーー ああ、夢がないんだなあとつくづく感じ入ったのは、もう十年以上前のこと、中学生か高校一年生くらいの女性たちがじぶんたちよりニ、三年年上の同性たちを「オバサン」と呼んでいるのを耳にしたときだ。
二つか三つ、年が違うだけで異星人のような扱いをする、歳がちがうだけで「クサイ」と言う、
そういうジェネレーション・ギャップが世代的にものすごく細分化されてきたということもあるのだろうが、それ以上におどろいたのはじぶんたちの近未来への絶望の深さである。
おとなの目からは若い人たちのあいだの世代対立とも見えなくもないが、年下の方はいずれすぐ「オバサン」と呼ばれる側にまわるのだから、つまりはじぶんがじぶんの近未来をののしっているわけで、じぶんたちの未来に唾をはきかけるという、これは逃げ口のない絶望的なたたかいなのである。そのニヒリズムの深さにはちょっとたじろいでしまう。(第6章〈ゆるみ〉と〈すきま〉夢がない、遊びがない少女たち
P154−P155 より抜粋)ーーーー
高校在学中ごろに、きゃあきゃあしている20代半ばの女性をみて「大人げないなあ、若ぶって、バッカじゃないの?」なんて失礼極まりない生意気なことを思ったことはありました、確かに。
でも、いざ自分が20代になってみると、たいして大人になったという自覚もないので、たぶん自分もきゃあきゃあしていたと思います。
30代の女性をみて「中年世代」とか「オバサン」いう言葉が頭をよぎったのも事実です。
でも、自分は今、40代で、紛れもない「中年世代」ですが、中身はちゃんと大人になったようには
思えない一方で、体力や肌年齢、知力はそれなりに下降線を描き始めています。
(ちゃんとケアすれば引き上げられるものだとは思いますが)
そして30代の女性を「今どきの若いコ」なんて呼んでいたりします。
なんとなく、女性って(全員じゃないでしょうけど)、常に人と自分を比べて生きているように思います。自分が人と比べて上か下か・・・あらゆる細かい点について位置関係を明確にしたがる。
前出の若い子たちも、きっと、毎日美しい自分や、若い自分、人からうらやましがられる自分、そして仲間から社会から受け入れられる自分であるために努力し続けていて、時には素の自分を押し殺してまでも小さな世界でのスタンダードを信じて、自分を秤にかけることを繰り返す。(イタタ・・・っ)
そして・・・同時に、その努力と反比例に不安が募るのですね。
自分の不安が創り出す、不完全な自分や不満な自分に人々の目が向かないように、他者を貶めることで自分を守っているのでしょうか。
年下に対して「ちょっとくらい若いからってムカつく」と言って攻撃したり、
年上に対して「オバサンになっていくのイヤ」と言って外見の若さだけにしがみついたり、
反対に、「どーせオバサンだから」「オンナ捨ててるからさー(捨てるもんじゃないからさー)」
なんていうのも含めて、そういう感情って著者の言う通り、自己(自分と自分の未来の両方に対して)否定感の現れなんだと思います。
彼女たちが、自分のことを肯定的に捉えていたら、他者に対しても寛容でいられるし、幸せの充足度も高いので、誰かをおとしめる必要なんてない。
それ以前に、そういう場合は、何もしなくても、ただ居るだけで、キラキラした存在でいるのでしょうね。
あらゆる世代の女性が、自己肯定感をもって、毎日適度に幸せだな〜と感じながら生きられたら、
その女性より年下の女性は、彼女をみて、歳を重ねることにネガティブになったりしないし、
その女性より年上の女性は、彼女をみて、心から可愛いコね、と思うでしょうね。
女性の価値が年齢でしかはかれないとしたら、なんと生き辛い社会なのかと悲しくなります。
(日本は、特に「カワイイ」を尊重する文化だから仕方がないと何かで読んだこともあります。
でも、「カワイイ」は「切ない」と表裏一体な気もします)
自分が必要なモノだけを見つけて、過剰な情報に踊らされない生活をしたいものです。
どうして私が片付けのことを本格的に掘り下げてみようと思ったかというと、
整理収納って物理的な片付けだけじゃなくて、自分の生き方や考え方にからみついた
余計な糸がほどけて、とれてゆくからなんです。
いろんなモノが渾然一体となった毎日は、大切な物に紛れて魑魅魍魎たちが目をくらますから。
片付けをするっていうのは、義務じゃなくて権利なんですよー。
生まれてすぐの赤ちゃんってピュアだけど、育つに従い、社会に出るに従い、いろんな垢に(良くも悪くも)紛れるのだけど、一旦どこかのタイミングでもう一度ピュアな自分と再会出来る。
それがお片づけだと感じます。
この権利って、誰にでも平等にあるの。
やってみるか、放棄するか、は自分次第。