今日の福島は午後から本格的な雨。
きっと、この雨を境に春が全盛を迎えるのだと思います。
ちょうど桜が見頃の福島ですが、この後GWに向かって一気に華やかになるのでしょう。
毎年、春と秋の年に2回、なぜか忘れず思い出すことがあります。
もうかれこれ、15年近く前のこと。
コロンビア人のベアトリスのこと。
友人の紹介で知り合った彼女とは、毎週(木曜日のことが多かった)夕暮れ時から
スターバックスとかメンバーの誰かの家に集まって、数時間をおしゃべりに費やしました。
他の子もラティーナで、メキシコから来た子とエルサルバドルから来た子、コスタリカから来た子がいて、あとは私たち日本人が4人。機関銃のようにしゃべりまくる女子会。
当時、ベアトリスは、新しく家を買ってDIYに熱中していました。
まだちっとも出来上がらない家に、そうそうに招待してくれました。
あちこちに工具やペンキが散乱していて、彼女がダンナさんと選んだ
インテリア小物や、取っ手とかがいくつも置かれていて。
ひとつ、ひとつ、本当に大切に考えて選び抜いたんだな〜ってわかる物ばかり。
「ごめんね、足下気をつけてね。あ、これにぶつからないでね、こっちよ・・・」なんて言いながら
家の中を案内してくれました。ぶつからない様に気をつけて、と言われたのは
デコレーションとして置かれた、丸くて大きな複数の陶器の壷でした。
ところどころ、まだペンキが塗りかけだったり、似たような色をいくつか並べて
試し塗りしてあったり。
2階につながる階段部分もまだ塗装の途中。そこから廊下へ。
写真がいっぱい壁に並んでいました。
ほとんどすべてモノクロ写真(だったように記憶しています)。
家族みんなの写真。お父さんの写真、お母さんの写真、従兄弟の写真。
これは、主人の・・・と、写真の一枚、一枚について説明してくれました。
家族を愛おしそうに。
ふと見ると、とても素敵なカーテンがかかっていました。
お家が全体的に、ベージュ系というかイエローオーカー系を中心に、
ところどころオレンジがかった茶色とか焦げ茶とか
乾いた大地を思わせるカラーパレットでした。
カーテンもそういう種類の色み。
ワントーンでナチュラルに傾きがちなのに、
とてもエレガントな印象なのは、彼女のセンスによるところでしょう。
なんでも、自国に帰って取り寄せた布なんだとか。
「素敵なドレープね」と褒めると、
「ねえ、この家のインテリアカラーを、土っぽいとか思う?
Yokoもこれ、素敵だと思う? 嬉しいわ。」
そして、こう続けました。
「これね、なんて言うのかしら、スモーキーというかこの乾いた土っぽい…
…そうだわ、アーシー(EARTHY)というのがいいわね、きっと。」
適切な言葉を珍しくゆっくり選んでいる様子だったのは、彼女なりのゆずれないこだわり
だったのでしょう。
さらに続けました。
「これらの色は私たちの故郷の色なの。自然の色、太陽の色、木の色、大地がこの色。
私たちはこれらの色があると、とてもリラックスして安心するのよ。
アメリカの色じゃないわね。うん、アメリカには無いわ、違う。
Yokoの日本も自然の色が好きでしょう?
でも、たぶん色みが少し違うんじゃないかしら。
どんな感じ?」
サラリと聞かれたその質問が、実は衝撃的だったのです。
「私の国の色・・・」
こんな風にして、日本人である私が、しっかり日本人らしさを見つめ直すきっかけに
なった出来事です。
美しい四季がある、美しい日本の、私たちの色って何色でしょう?
あの時、一瞬、畳や障子の色を伝えようと思ったけれど、私の生まれてからの
生活って、そんなに純和風じゃなかったよね・・・と迷いが生じました。
なんとなく彼女の色は、秋の色。
私の(日本の)色は春の色。
そんな風に思ったけど、直後に「違う」と感じました。そうじゃない。
彼女の色は…「彼女たちの」茶色は、
これから生命が休息する冬に向かう秋の色じゃない、
乾いたような色みだけれども、乾いて枯れてゆくのではない、
むしろ強大なエネルギーを蓄えて満された、これから潤う、はじまりの色。
そして、私たちの色は、もし春の、芽吹きの色ならば、
勢い良く芽吹くパワーが主張するのだろうけど、
日本の色ってもっと優しいように感じます。攻めない強さ。
2年ほど前に、再び彼女の家を訪ねたら、あの時の「工事中」の雰囲気は微塵も無く、
すっかり出来上がった「コロンビアらしい」設えの邸宅になっていました。
とてもエレガントな身のこなしで、でも15年前と変わらないフレンドリーさを
持って出迎えてくれました。とても素敵な女性です。