そのスペースが、どうして読書スペースだったか、というと、
床に補強が入っていたからです。
引越し当初は別の場所に本棚を置いた事がありましたが、
床に大きな負担がかかっていることが後にわかりました。
(豪雪地帯では、冬に雪が木造家屋の屋根を覆うと、重みからサッシなどの開け閉めが
しづらくなることがあるんです。ある程度はこういう事態を折り込み済で設計
してるとは思いますが)
冬でもないのに、ある部屋の引き戸が動きにくくなりました。
真上に位置する部屋には・・・そう、この大型書棚群があったのです!
家が傾ぐ〜!!
そういえば、集合住宅の上の階の人が、本をもちすぎて床が抜けてしまい・・・という
ホントかウソかわからないような話を聞いた事がありますが、
あれは、きっと本当だと思います。
そういうことが頭の中をぐるぐる回りながら、
避難通路を塞ぐ、障害物と化した本を、一冊ずつ閉じては書庫へ戻し、
折れたページを広げてなでては書庫へ戻し・・・段々惨めな気分になりました。
私が本を減らせない理由ってなんだろう?
なかなか気づけなかったことですが、
こうして本を拾いながら、たどり着いた答え。
「不安」でした。(たぶん)
1秒ボンヤリしてると、大失敗につながるので
常に脳内アドレナリンが大放出、常に心地よい緊張状態!という種の
仕事をしていた私が、ある時、結婚して専業主婦になりました。
うってかわって時間に追われない生活。
全て自分で仕切っていい自由♪
憧れの時間を手にしたはず、が、
急激にゆったりとした時間軸への変化に順応するのは、
予想に反して大変だったのです。
俗にいう
「社会から置いてけぼりになるかもしれない症候群。」
フィクション・ノンフィクション・新旧ジャンル問わず、
片っ端から乱読者に。
「気になるジャンルがあれば、それに関するいろんな人の
考えに触れる事で、自分の考えと摺り合わせてみるのが楽しかった。」
これは、ひとつの読書の醍醐味でもありますし、
今も無くなってはいません。
社会から置いて行かれないように、
情報を仕入れ続ける事により、安心を得たいと考えていたのです。
けれども、時には、情報過多で、自分がユラユラすることもあると気づきました。
何かを決断するとき、「○○かな」「いや、△△という考え方もあるかも」とか
そのうち、「私は直感的にAだけど、Bを選ぶ方が一般的には望ましいのかも」と。
そんなことをしていては、ストレスが溜まってゆきます。
原因は、読書によってインプットをしていても、私自身からのアウトプットが
ちゃんと出来ていないからです。
整理収納は、家の中に入ってくるもの(イン)と
家から不要品をだす(アウト)の流れがスムーズに行われる事によって
快適性を維持する事が出来ます。
正しい整理収納を学び、インしたものをアウトするために区別する術を
手に入れます。
そのことは、何も物理的な物についてのみ言える事ではありません。
私の中のインプットとアウトプットの流れを作る必要がありました。
それは、情報を選びとる力。入れるばっかりじゃダメですよね。